予感のする方へ

主に心のもやもや、好きなこと、興味関心のあることについてを記事にします。

家族って、なに。

いつからだろう自分がこんなにも情けなくなったのはーーー。

 

私の好きな音楽は、聴く人に寄り添ってくれる曲が多いような気がする。

 

それは自分に自信がないから。

 

そして、そんな自信のなさを隠すように、背中を後押ししてくれるような曲も好きだ。

 

こんな自分でも良いんだって、何回思ったっけ。

何回思ったって、その度に自信をなくしてしまう。

これはもう、なおらない私の人格なのかもしれない。

必要に応じて努力するべきことさえも、理想ばかり思い描いてしまい、始めてもすぐに不安が溢れ、逃げてしまう。

典型的なダメ人間。

こうやって自分を常に卑下してしまう。

卑下していないと生きていけなくなった。

誰かより劣っている自分がいることで、誰かの自信となる。

そうとさえ思ってしまう。

ドン底に落ちたと思っても、そもそもドン底なのだから、案外気持ちの落ち込みようは少ない。

これは自分にとってはとてもプラスなことだと思うけど、人としてどうかとは思う。

 

なぜ私がこんな人格形成に至ったのか、その原因はきっと家庭環境なんだと自分ながらに、悲しいけど、思うんだ。。。

 

小学何年生の頃だっただろうか、夕飯を前にして「なにか面白いのやってないかなー?」とテレビの放送局を変えていた。

すると突然、テーブルを挟んだ向かい側に座っていた父親に、これから使うはずだった箸やら台拭きやらを投げられた。

理由はわからない、けれどたしか、投げる手前こう言っていた。

「楽しい?自分の好きなの見て」と。

それも、嫌味をたっぷり込めて。

 

幼い私には、意味がよくわからなくてこわかった。

その日は結局、ひとりで泣きながら和室で過ごした。

父親がどうしたかはわからないが、3つ年上の兄と母親は夕飯を食べれなかったという。

この時から、私は自分で何かを選択してやるということに対しての不安や、恐怖を強く抱くようになったのかもしれない。

 

自分の正解は誰かにとっての不正解。

じゃあ自分の正解なんていらないんだ。